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 もろ人こぞりて
2007年12月20日 (木) | 編集 |
諸人こぞりて 迎えまつれ
久しく待ちにし 主は来ませり
主は来ませり 主は 主は来ませり

鋼鉄 (くろがね) のとびら 打ち砕きて
捕囚 (とりこ) をはなてる 主は来ませり
主は来ませり 主は 主は来ませり


父の転勤の都合で半年くらいだったか、信者ではないのだが
キリスト教の幼稚園に通っていた。
お祈りの時間の前に、必ずこの賛美歌を合唱した。
しかし、どういう意味なのか説明された記憶がない。

モロビトコゾリテ ムカエマツレ 
お菓子の諸越を連想している倫子姫。

ヒサシク マチニシ
ひさし君は隣んちにいる。

シュワキ マセリ
?? いいや、ここは元気に歌うのみ! 
しゅわっきまっせえりー しゅわっきまっせえりー
しゅうわあーしゅわああっきまっせりー 

次は分かるぞ。

黒い鐘のとびらを打ち砕いたら 鳥っ子が離れていったとさ
そら、しゅわっきまっせえりー と くらぁ!

歌の後、眼をつぶってお祈りに入る。
頭が?のままなので冴えている。
えらく長い時間に感じられ、つい薄目を開けて辺りを見渡す。
同じようにキョロキョロしている子もいたが、一番多かったのは
しっかりと眼を閉じ、組んだ指の中から人差し指一本を伸ばし
鼻くそをほじくっている子たち。

この時季になると必ず思い出す賛美歌のひとつだ。


また、この幼稚園ではもう一つ忘れられない思い出がある。
卒園式の時、お遊戯を踊ることになった。
母が深い緑色のベルベットの生地で、とても可愛い服を作ってくれた。
ウキウキ ドキドキ 。が、本番直前に おしっ〇 が したくなった。
非常に人見知りをする内気な子だったせいか先生に言い出せなかった。
みんなに迷惑をかけると思ったのだ。
そのまま舞台へ上がったが、始まって間もなく限界が来て 
「うあーっ、こいつ、おしっ〇 たれたぁー!」
後ろで踊っていた男の子の声が響いた。
記憶はそこで途切れている。


このことを大人になって 「実はね」 などと親しい人に打ち明けると
「そんなのまだいいよ。私なんか うん〇 もぐして 教室中臭いの何の。
一番有名になっちゃったよぉ。」


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 忘れ得ぬ人
2007年12月13日 (木) | 編集 |
もう1年近くになるのではないだろうか、度々その人の夢を見る。
高校を卒業して以来今日まで、再びその顔を見たことがない。

中学、高校と同じだったその人は、あまり女生徒に人気はなかった。
何事にも無関心を通し、掃除当番などもサボるタイプだった。
頭が良く、無口でニヒル。
よく似合った黒縁の眼鏡を稀にはずすと、くっきりとした二重瞼の眼は
意外に大きい。
お洒落で首筋をいつも清潔にし、癖だった髪を撫でるその長く美しい手指に
先ず惹かれたのだった。

ボーイッシュなどと言われ続け、可愛い子チャンタイプではなかった私。
好きな男の子以外とは性を意識せず、付き合えた。
それは今でも続いている。
つまりは色気がないということだ。
だからなのか、秀才タイプにはもてなかった。
秀才とは女を見る眼が無いのだ。

想いを伝えることなどできる性質ではなく、精神的にも幼くて
中学校時代は滑稽にも根回しに終始した。
よく、男女グループであちこち遊びに行ったので、彼の親しい友人を誘う。
が、胸を膨らませてその日を迎えると友人の方だけは来ている。
誘われて来ているのだから仕方ない。
楽しいはずの一日は、わっはっは! 
やけくそで はしゃいだ。
懲りずに次の手、こいつで行ってみよう!
が、遂に一度も夢はかなわなかった。

女生徒と遊ぶことはおろか、話しをすることにさえ興味がないように見え
ひたすら勉強に励む、クールで大人びた態度も好きだった。

クラス対抗球技大会があって、殆ど経験のない卓球選手として出ることになった。
テニスクラブに入っていたため、球やラケットが急に小さくて困惑した。
卓球が得意と初めて知った冷たいはずの彼が、その時は非常に親切に教えてくれた。
試合本番は、対戦相手側にしゃがんで 「今だよ!」 「打って!」 
球を見ずに、彼を見ながら戦ったので初戦敗退だった。
以来、卓球が好きになった。

ある時、勉強会などといって彼の家にグループで集まったことがあった。
学生服を脱いだ彼に、こげ茶色のタートルネックセーターがとてもよく似合った。
母にねだってすぐ買ってもらい、密かにお揃いを決め込んで楽しんだ。
今もこげ茶色は好きな色のひとつだ。
歳の離れた妹が部屋を覗きに来た折、相好を崩して 「入っておいで。」
学校にいる時とは別人、優しい兄の姿があった。
レモンティーを直接振舞ってもらったのだが、緊張の余りこぼさずに済んで
幸いだった。
わざとノートを忘れて電話などをもらいたかったのに、次の日あっさりと
「これ、忘れ物。」
何とか少しでも親しくなりたかった想いは、いつも空回りに終わった。

迷いに迷って年賀状を出すと返事は来た。
ミミズも機嫌を悪くするような字でたった一行 「勉強頑張ってください。」
自分が書いた文章は忘れた。

幸い同じ高校へ入ったのだが、一度も同じクラスになれなかったこともあり、
全てが大学受験のためにあるカリキュラムで、全く面白くない3年間だった。
アチコチの中学校から集まって来た生徒達の態度がでか過ぎて馴染めず
自然と同じ学校出身が群れていた。

彼に対する密かな想いは続いていたが、そこへ邪魔が入った。
同じクラスになったそいつは中学も同じで、彼とは高校に入ってから親しくなったのだ。
お陰で彼とは、そいつのことで会話する羽目になった。
そいつはしつこくて、折角彼と二人きりになるチャンスをいつもぶち壊した。
夜遅くなった学校帰りなど、一応の男気で彼は途中まで一緒に歩いてくれるのだが
そいつがいつもくっ付いて来る。おまけにそいつとは家が近いのだ。
悲しくも彼はそいつと私のキューピット役になった。
ちょろちょろとうるさいそいつのことは嫌いだった。

片想いに疲れた頃と、受験勉強に集中しなければならない時期が重なった。


中学校卒業後20年を記念する同窓会の幹事になり、所在確認・人集めに奔走し、
思いがけず彼に電話するチャンスに恵まれた。
それまでは何処に住んでいるのかも知らなかった。
鎌倉。 最初に妻が出た。私は一応女なので最初は不審気な応対だったが
優しい声で、とても品のある方のようだった。くそ
いよいよ彼が出て
「私のこと覚えてますか?」 照れたような笑い方は同じ 「覚えてますよ。」
「是非出席してくれませんか?」
「ボクはそういうのに興味ありません。」 と、返されると思ったが
「丁度、子供の休みとぶつかっているので無理なのです。」
なんと、あのニヒルな彼が子供思いの父親に‥ 
その後も彼は中学・高校の同期会などに、一度も出席することはなかった。

願っても隣の席に座ることなく、フォークダンス以外に手を握り合ったこともない人。
会えなくなって以来、随分と時が流れて思い出すこともなくいるのに、
度々の夢見で、ひたすら片想いに終わった彼が、生涯で一番懐かしく
恋しいと思う人になった。
幸せの中に健康で長生きしてくれることを心から祈る。
少女時代の儚い恋の想い出を書き留めてみたくなった。

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